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スッチーだった頃 19

19.両親の不安

当時の日本航空の客室乗務員は、三つのセクターに分かれて乗務していました。
主に南周りヨーロッパを飛ぶセクター、北周りヨーロッパを飛ぶセクター、
そして主に東南アジアを飛ぶセクターで、1年毎に代わる仕組みになっていました。
ですから、言ってみれば3年働けば、日本航空のルートを全部回れるわけです。

1972年に立て続けに起こった日航機事故。
先のニューデリーの事故は、セクターが違っていましたので、
知ったクルーはいませんでした。

その後起こったモスクワの事故。
マザーユウキはモスクワ便に乗務したことはありませんが、モスクワ便は、
フライト時間が9時間以上になるので特殊な便として、もしかしたら、
各セクターからピックアップされたクルーが乗務していたかもしれません。
このあたりはよく覚えていません。

そんなモスクワ便の事故機に、1000人以上いたクルーの中で、
マザーユウキが3カ月も一緒にフライトした先輩が乗務していた・・・
このことは、マザーユウキのみならず、両親にもショックを与えました。

マザーユウキの両親は、スチュワーデスになりたいと言った時も、
表立って反対はしませんでした。
もともと子供の意思を尊重してくれる親でしたし、言っても無駄だと
わかっていたのでしょう。

でも、特に心配症の父は、小さな戦闘機ならまだしも、あんな大きな鉄の塊が
どうして空を飛べるんだ、飛行機は落ちたら最後絶対生きては帰れないぞ、
という不安はずっと持っていたようでした。
そんな不安が現実のものとなり、いつ娘の身に起こるかもしれないという危惧は、
両親の中でどんどん膨らんでいったようでした。

それでも、もちろん世界中で飛んでいる飛行機の便数から言うと、
自動車よりはるかに安全と言えます。
でも、その後も頻発するハイジャックなど両親にとっては心配の種がつきず、
心の休まらない日が続いたのです。
さらに、両親を心配させたのは、会うごとに、マザーユウキが痩せていったことでした。

ある日実家に電話したマザーユウキは、過度のストレスから、父が激しい腹痛を起こし
救急車で病院に運ばれたと知らされました。

マザーユウキの中である思いが芽生え始めました。
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プロフィール

平川裕貴

Author:平川裕貴
幼児教育研究家、キッズマナーコンサルタント、マナー講師、著述家、コラムライター、英語スクール経営者

出版物
『歌で覚える英会話 キッズソング1~3』(販売終了)
『グローバル社会に生きる子どものための-6歳までに身に付けさせたい-しつけと習慣』(アマゾンにて販売中)
『5歳でも間に合う!わが子をバイリンガルにする方法』(彩図社)全国の書店・ネットショップで好評販売中

ママ向けサイト『ハピママ』『KIDSNA』『IT Mama』で、しつけや英語に関するコラム記事執筆

英語学習者向けサイト『Cheer up English』で子育て英語記事執筆


元日本航空CA,外資系英語スクールマネージャーを経て、1988年外国人講師による子どものための英語スクール『リリパット』を設立。
一時関西に英会話教室30教室以上を展開するが、阪神淡路大震災で被災し、規模縮小を余儀なくされる。
長年欧米文化に触れてきた経験と、震災後の長く苦しい体験から得た知恵も生かし、子ども達の長い人生を見据えた幼児教育に取り組み、現在3歳から6歳を対象とした『リトル・キンダー』という幼稚園型スクールを開校。
日々小さな子ども達に囲まれて、時には笑い転げ、時には雷を落とし、賑やかに楽しく過ごしています。

第2の人生の目標として、得てきた知恵や知識を伝えるべく、本業のスクール経営の傍ら執筆活動を開始しています。

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