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父の死と母の死

どちらかと言えばずっと母っ子だった私。
父には反発することも多かった。

でも、死が堪えたのは父。
母とは比べものにならないくらい・・・

2012年の10月17日、父が亡くなった。
それまで毎日のように書いていたブログが、まったく書けなくなった。
毎晩泣いた。
父の写真を見るたびに涙があふれた。
スクールの子ども達の前でも、何度も泣きそうになった。

1年祭(1周忌)を迎えた頃、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
泣く日がどんどん少なくなった。
でも、今でも父に逢いたいと思う。
父を思い出すと涙があふれる。


母が亡くなって10日あまり。
泣いたのはお葬式の時だけ。
ほとんど涙も出てこない。
母に恨まれるかなと思うくらい。

母には十分覚悟させてもらえたから。
何度も「もうダメかも」と覚悟した。
10年以上前から、心臓で入退院を繰り返していたから、
家族みんなが、ある意味覚悟していた。

そのことは、母もなんとなく感じていたのではないか。
それが、母は気には入らなかったと思う。
死を待たれていると感じたかもしれない。
母の認知症がひどくなったのは、そんな思いを
母にさせてしまったからかもしれないと思う。

死の時期は自分では選べない。
「死にたくない」と思っても死んでしまうし、
「死にたい」と思っても死ねない。

認知症になってから、母は何度も死のうとしたようだ。
椅子でひっくり返って頭をぶつけようとしたり、
花瓶で頭をたたいたり・・・
もちろん、そんなことでは死なない。

精神科の認知症病棟に入院して治療を受けた。
ようやく落ち着いて、3件目の老人ホームへ。
幸い、そこが母には合っていた。
母は食事を「おいしい!」と言ってしっかり食べ、
スタッフさんからいつも「肌がきれい!」と褒められて喜んでいた。
ほとんど寝ていることが多かったが、穏やかに過ごせていた。

本当はそこで死なせてやりたかったと思う。
もう「看取り介護」で私も妹も承諾していたから。
母の意識は、そこで死のうとしたのだと思う。
でも、死ぬ前にスタッフさんに発見されて、救急車で
病院に運ばれてしまう。

「もうダメだろう」と思ったら、なんと退院してまたホームに戻れた。
これで、ホームで死ねるかもと思ったら、また救急車で運ばれてしまった。
2件目のその病院が最後となった。

痩せ過ぎて、点滴の針も打てなくなって、16日間の絶食の末
ミイラの一歩手前くらいまで痩せ細って亡くなった・・・
もっと、ふっくらとしたきれいなうちに死なせてやりたかった。
そう思う。
あれは、母ではない。


涙が出てこないのは、そのせいかもしれない。



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プロフィール

平川裕貴

Author:平川裕貴
幼児教育研究家、キッズマナーコンサルタント、マナー講師、著述家、コラムライター、英語スクール経営者

出版物
『歌で覚える英会話 キッズソング1~3』(販売終了)
『グローバル社会に生きる子どものための-6歳までに身に付けさせたい-しつけと習慣』(アマゾンにて販売中)
『5歳でも間に合う!わが子をバイリンガルにする方法』(彩図社)全国の書店・ネットショップで好評販売中

ママ向けサイト『ハピママ』『KIDSNA』『IT Mama』で、しつけや英語に関するコラム記事執筆

英語学習者向けサイト『Cheer up English』で子育て英語記事執筆


元日本航空CA,外資系英語スクールマネージャーを経て、1988年外国人講師による子どものための英語スクール『リリパット』を設立。
一時関西に英会話教室30教室以上を展開するが、阪神淡路大震災で被災し、規模縮小を余儀なくされる。
長年欧米文化に触れてきた経験と、震災後の長く苦しい体験から得た知恵も生かし、子ども達の長い人生を見据えた幼児教育に取り組み、現在3歳から6歳を対象とした『リトル・キンダー』という幼稚園型スクールを開校。
日々小さな子ども達に囲まれて、時には笑い転げ、時には雷を落とし、賑やかに楽しく過ごしています。

第2の人生の目標として、得てきた知恵や知識を伝えるべく、本業のスクール経営の傍ら執筆活動を開始しています。

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