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スッチーだった頃 10

10.ハプニング

実は初フライトでとんだハプニングもありました。
アンカレッジから積み込んだ私の荷物がコペンハーゲンで降ろされずに、
飛行機の最終目的地であるハンブルグまで飛んでいってしまったのです。

いつまでたっても出てこない私の荷物。
仕方なく荷物なしで、他のクルーと一緒にステイ先のホテルに行きました。
クルー専用の送迎バスが待っていたからです。
初フライトにして、ホテルに着いても着替えも洗面道具も化粧品もない
という状態!本当に困りました。

でも、この時一緒に飛んだ先輩スチュワーデスが、初フライトでよもやのトラブルに
慌てている私に、とても親切にしてくれたのです。
着替えの私服はその先輩が貸してくれ、とりあえず必要なものを揃えに
一緒に買い物に行ってくれて。
なにせ初めてのコペンハーゲン、西も東もわかりませんし、本当に心強かったです。

訓練中に太ったマザーユウキ。当時健康優良児並みに真ん丸な顔をした私と、
女優さんみたいに細くて素敵なその先輩スチュワーデスが、
コペンハーゲンの古城の前で並んで撮った写真があります。

忘れられないこの先輩とは、さらに後日談がありました。
訓練時代、教官として私達の指導に来ていたアシスタントパーサー。
「君は一番前でよく食べていたなあ」
と言われたそのアシスタントパーサーに、さらに言われたのです。

「僕の家に君の写真があるよ」

ハンサムで私もちょっと憧れたそのアシスタントパーサー。
「えー、どうして???」
なんと彼、その先輩と結婚していたのです。
1000人以上いるクルーの中で、私が関わった二人が夫婦になっていたなんて!
どちらも素敵な人でしたから、とっても嬉しかったことを覚えています。

コペンハーゲンには1週間ほどの滞在。
荷物は、2日ほどして私の手元に無事戻ってきました。ホッ!


succhi2.jpg
右端が素敵な先輩。私の荷物は勝手にハンブルグまで行ってしまいましたから、この時は制服のコート。真ん中の渡哲也さん風の男性はパーサー。そう言えば渡哲也さん、フライトで乗って来られたことがありましたっけ。テレビそのままのシャイな感じが素敵な人でしたよ。
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スッチーだった頃 9

9.初フライト

OJTでも合格点をもらって、いよいよ一人前のスチュワーデスとして
国際線を飛ぶことになりました。
初フライトは、北周りヨーロッパ線。私のフライトはコペンハーゲンまででしたが、
飛行機の最終目的地はハンブルグ。
当時、北周りでヨーロッパに向かう便はDC8(ダグラス社)という
細長いきれいな形の飛行機が主流でした。

飛行機としてはスマートでカッコ良くて、私もとても好きな機種でした。
ただ、通路は狭く、すれ違うのがたいへん。その後導入されたジャンボ機に乗ると、
DC8がとても狭く感じてしまいました。

DC8に乗務するクルーは、パーサー、アシスタントパーサー、そして、
スチュワーデスが2名、それに機長らパイロット3人のこじんまりしたチーム。

北周りでは、まずアンカレッジに寄港します。
お客様はそのままそれぞれの目的地まで行かれますが、クルーは乗務時間が
8時間を超えるので、アンカレッジで交代します。
アンカレッジに2泊して次の便を待ちます。
当時はまだ便数が少なかったので、フライトにも余裕がありましたねえ。

実は初フライトで、マザーユウキは失敗をやらかしました。
なんと外国人のお客様のズボンにコーヒーをこぼしてしまったのです。
平謝りのマザーユウキに、その方は「大丈夫。大丈夫」
とやさしく言ってくださいました。
そういう場合、クリーニング代をお支払いするのですが、私がお支払いすると言っても、
パーサーに報告してパーサーから申し出てもらっても、受け取って下さらず。
でも、何よりもホットコーヒーだったからきっと熱かっただろうなぁ。

ホットコーヒーと言えば、フライト中怖いのはタービュランスと言って、
飛行機が急降下すること。
たいていは、シートベルトサインが点きますし、大きく揺れることが予想される場合は、
機長から食事サービスストップの連絡も入るのですが、予想できない場合もあるのです。

食事サービス中にそんなタービュランスが起こるとたいへん。
もし、熱い飲み物を持っていたら、お客様にかからないように
すぐ床に流すことになっていました。
タービュランスで腰の骨を折るという大けがをしたスチュワーデスもいましたし、
マザーユーキも尻もちをついたことがあります。
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スッチーだった頃 8

8.スチュワーデスの仕事

またまた食べる話ですが、今度はマザーユウキではなく、
お客様が食べる(召し上がる)話です。
国際線では、食事が出ることが多いので、国内線とは仕事の内容が大きく違ってきます。
飛行機にはギャレーと呼ばれる、キッチンのようなものがあります。
そこには、肉料理を温めるオーブンとか、お湯を沸かせるコンテナ、
ほとんどの料理がセットされたトレーが詰まったカートや、
飲み物サービス用のカートなどが、効率よくぎっしり詰まっています。

食事の時間に合わせて肉料理のオーブンをセット。
温まったら、小さな四角いお皿に入った肉料理をオーブンから出して、
トレーにセットしていきます。
これを素早くセットしていく練習も訓練中にしました。
何十人分もの食事を、冷めないうちに提供しなければなりませんからね。

ここだけの話、この仕事は、おしとやかな子より、多少ガサツな子の方が有利かもです。
セットし終わったら、カートごと通路に運んでトレーを出し、
お客様の座席前のテーブルに載せていくわけです。
そうそうその前におしぼりを配っていましたっけ。

お茶やコーヒーの係りはまた別にいて、ティーバックで日本茶や紅茶を作り、
それらやコーヒーを、トレーを配り終わったお客様から、
順次お聞きして入れていきます。

ファーストクラスの食事は、アペリティフからオードブル、スープにメインディッシュと
一つずつ優雅に提供されます。
ファーストクラスは、お客様の人数も少ないので、ゆったりお上品に?サービスします。
ジャンボジェットには、バーカウンターがあって、カクテルなどのお酒は
たいてい男性のアシスタントパーサーが作ります。
ローストビーフを切り分けるのもパーサーかアシスタントパーサーの仕事でした。
食事が終わると、トレーを片付けて、フライトの時間にもよりますが、雑誌を配ったり、
毛布や枕を配ったり、お客様のリクエストにお答えしたりします。

クルーも交代で食事をしますが、満席の時はカーテンで仕切られたギャレーの中で、
素早く済ませることになります。
席に余裕がある時は、目立たない席でいただきますが、
それでもゆっくりは食べていられません。

ファーストクラスの担当になると、みんな内心大喜びです。
なぜって、ファーストクラスの食事がいただけるからです。
中でもみんなが狙っていたのは、オードブルで出されるキャビア。
一瓶使い切ることはなくたいてい余りますから、クルーはおこぼれを
頂戴できるというわけ。
このキャビアを白いご飯に載せて食べるキャビアライスなるもの、
時には取り合いになることも。
ウフ、内緒の話ですよ~。


さて、話をまたお客様に戻しましょう。
便によっては、夕食と朝食がついていたり、昼食と軽食がついていたりと様々です。
いくら長いフライトでも、飛行機の中ではほとんど動けませんのでお腹もすきません。
さすがに2食目は残されるお客さまも多いです。

さあ、「当機まもなく○○空港に着陸いたします」
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スッチーだった頃 7

7.OJT

訓練が終了して一人前のスチュワーデス!
と、その前にOJT(On the Job Training)というのがあるのです。
確か1か月だったかしら。 訓練生というネームプレートをつけてフライトするのです。
マザーユウキが訓練生として最初に飛んだのは、香港でした。

この時のフライトのことは緊張のあまりほとんど覚えていないのに、
クルー達と中華料理を食べに行ったことだけはしっかり覚えているマザーユウキです。
なにせ当時は、若い小娘が入れるような本格的な中華料理のお店って
ほとんどありませんでしたから、食べるもの食べるものとっても新鮮だったのです。
「また食べるはなし?」なんて声も聞こえてきそうですから、ちょっと真面目な話を。

では、実際のフライトで、国際線のスチュワーデスはどんなことをするのでしょう。

まずフライトの2時間前にオペレーションセンターに行って準備をします。
一緒にフライトする客室乗務員の紹介や、フライトの担当
(ファーストクラスとかエコノミー担当、アナウンス担当など役割確認)など
ミーティングが終わると、機長らが待機する部屋に行って、
機長らからフライトに関する情報を聞きます。
例えば、「天候が悪いので途中揺れるかもしれない」とか
「向かい風が強いので到着が遅れるかもしれない」とか
「到着地の天候は晴れ、00時到着予定」とか、
客室乗務員が知っておくべき情報が与えられます。

そして飛行機に乗り込んだら、まずは自分の担当コンパートメントのチェックです。
もちろん搭乗前にきちんと掃除はされていますが、清掃漏れはないか、
不審物はないか再点検します。

搭乗時間になったら、持ち場についてお客様をにこやかにお迎えして
お席への誘導、手荷物を正しく安全に置いていただくようご案内します。
お客様が席に着かれ、出発の時間になれば、シートベルトの着用などをチェックします。
席に着かれてから出発までに時間がある時は、先に毛布や枕を配ったり、
雑誌や新聞を配ったりします。

いよいよ出発、飛行機のドアがしまったら、大切な仕事があります。
ああ、あの悪夢の脱出用シュートを非常時用にセットすること。
これで、非常事態が発生した時、ドアを開ければ、脱出シュートが
自動的に降りることになります。


出発したら、実は禁煙のサインが消えるまでちょっと緊張しています。
早く消えたり遅かったり、機長によって結構差があるのですが、なかなか消えないと
「何かトラブルでもあったのかしら」
と、顔には出しませんが、不安になります。
禁煙のサインが消えたら、何事もなく上昇できたんだとホッとします。

その後しばらくしてシートベルト着用のサインが消えますが、これからがスチュワーデスの戦闘開始です。
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スッチーだった頃 6

6.メイクで大変身

そろそろ訓練中のお話も終わりにしようかと思いますが、最後にスチュワーデスとして
大変身を遂げるメイクのお話です。

今は学生でもメイクばっちり、おしゃれですよね。 
子ども用のメイクセットがあるくらいですから。
でも、マザーユウキが学生の頃は、口紅をつけるのさえ、
ちょっとためらわれたくらいでした。 
ですから、訓練生はほとんどみんな素顔でした。

当時の日本航空では、スチュワーデスの髪型やメイクの仕方も幾通りかの
パターンがあって、その中から自分の好みのものを選ぶようになっていました。
髪型は、ロングはダメでショートがメインでしたし、メイクも派手すぎず上品にと、
たしか資生堂の美容部員が来て指導してくれました。

訓練生の中には、高卒で田舎から上京してきた子もいました。 
彼女達は、お化粧どころか口紅もつけたことがないと言っていましたねえ。 
そんな彼女たちの変身振りったらもう・・・ 

皆さんは、顔のどこを変えると垢ぬけると思いますか?
変えるといっても整形するわけではありませんよ。 
あくまでもメイクでできる範囲です。

マザーユウキ達が 「うわ~」 と驚いたのは、実は眉毛でした。
眉の手入れをしたことがないという同期の一人が、眉をカットしてもらった途端、
それはそれは見事に大人の女性に大変身しました。

化粧水や乳液やファンデーションやと、やっぱり女の子ですからね、
「あなた変わったわね」 「あなたもよ」
なんてワーワーキャーキャー言いながら、楽しんでいました。  

とにもかくにも、制服の似合う大人の女に大変身して、
さあ、あとは大空へ飛び立つばかりです。


jal2.jpg
真ん中が教官。女子パワーに圧倒されてるみたい?
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スッチーだった頃 5

5.着物サービス

避難訓練の中には、救命ボートに乗り込むのもありましたね、確か・・・
大きなプールに浮かべた救命ボートに、救命胴衣を着けて乗り込んだ記憶がかすかに。

飛行機に乗ったら、スチュワーデスが救命胴衣を実際に着用してデモンストレーション
していたのですけど、今もやっているのかしら?
飛行機が海に不時着したら、救命胴衣をつけて膨らませるのです。 
そして救命ボートに乗り込んで避難というわけです。 

他に、当時の日本航空には着物サービスというのがあって、
着物の着付けも教えてもらえました。 
着物は、上下別になっていましたし、帯も出来上がったものを、
言ってみればくっつけるだけ。 

だからとっても簡単でしたけど、着替えるのはトイレの中なのです。 
飛行機のトイレって狭いでしょう。 
だから狭い場所で素早く着る練習をさせられたのです。 
食事サービスが待っていますから、トロトロ着替えていたんじゃ
間に合わないのです。

マザーユウキは、母が着付けを教えていたりしたので、着物は好きでしたけど、
実際のフライトでは、
「それはないでしょ!」
みたいな着方をしていたスチュワーデスもいましたねえ。

それに、襦袢と足袋は自前のものを持っていくのですけど、
足袋を右だけ2つ持ってきてしまったスチュワーデスが、
一つをひっくり返してはいた、なんて話を聞かされたりしましたっけ。 

ドジだけど、臨機応変ですよね。 飛行機の中は暗いし、狭いし、
足元をマジマジ見られることもないでしょうから、
たぶん気付かれずに済んだことでしょう。

着物サービスは、飛行機事故が続いた後、安全面で問題があるということになって、
廃止になりましたが、着物を着て機内サービスをしていたのですから、
本当に優雅な時代でした。
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スッチーだった頃 4

4.恐怖の脱出シュート

 スチュワーデスの訓練の中に、当時主流になりつつあった、ジャンボジェット機の
脱出シュートを滑り降りる避難訓練がありました。 
脱出シュートは不時着など緊急時に使用する脱出用の滑り台のようなものです。 
飛行機のドアが閉まり、離陸が確実になったら、緊急時に脱出シュートが開くように
スチュワーデスがドア操作して、パーサーに報告することになっていました。

ジャンボジェットは、高さが10m(翼を入れると20m)近くあります。 
ドアも地上から5mくらいの所にありましたから、高さ5,6m程の滑り台だと
思っていただけるとわかりやすいかもしれませんね。

訓練生はつなぎの作業着に着替え、順番に階段を上って、
脱出シュートのてっぺんにある台まで行きます。 
そこから、ポンとジャンプして、お尻をつけた状態で滑って降ります。 
斜面は、普通に滑り台を滑るのと同じ体勢なのですが、一刻を争うので、
ジャンプして飛び降りてもらうのです。

同期がどんどんジャンプして楽しそうに滑っていきます。 だって滑り台ですものね。 
いよいよマザーユウキの番です。
「さあ」 と台の上に立ち、シュートを見降ろしました。

「・・・・・!!!」

マザーユウキの頭の中に恐怖心が渦巻きました。 
「なにこれ!」
「こんな急角度、絶対前につんのめるわよー」
そう思った途端、マザーユウキの脚は動かなくなりました。 
台の上で立ち往生してしまったのです。
マザーユウキの後に上ってきた同期に、先に滑ってもらいながら、
マザーユウキはなんとか恐怖心に打ち勝って滑ろうと試みました。 
でも、なかなか思い切れませんでした。

とうとう同期全員が滑り終えて、マザーユウキ一人が台の上に取り残されました。
「大丈夫よ~」
「頑張って~」
同期の励ましを受けても相変わらず立ち往生のマザーユウキに、教官がかけてくれたのは、

「お客さんを助ければいいんだから、スチュワーデスは滑れなくていいよ」

という優しい???言葉でした。
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スッチーだった頃 3

3.モックアップでの訓練

 教室で習った航空理論などはすっかり忘れてしまいましたが、
今も覚えているのはやはり実施訓練です。
訓練中に太った理由をもうひとつ思い出しました。

機内での食事サービスの訓練は、モックアップという飛行機の機内と
まったく同じに造られた施設でするのです。 
その時は訓練生が交代でお客さん役をするわけです。
で、ですね。 なんと実際にファーストクラスの食事が出され、
お客さん役の訓練生はその食事を食べることができたのです。

当時のファーストクラスの食事は、食前酒 (アペリティフと言います。
当然ながら訓練ではお酒は飲ませてはもらえませんでしたが)、
オードブル、スープ、メインディッシュ (ビーフ・チキンなどを選択できます)、
チーズ・フルーツ・デザート 、食後の飲み物 (コーヒーまたは紅茶)、
食後酒も用意されていました。

ファーストクラスの食事は、それはそれは豪華でした。
外国人のVIPもお迎えしますから、オードブルやチーズは、マザーユウキも
ほとんど見たことのないような食材や種類が用意されていました。
特にチーズは、種類が豊富でしたが、カビがはえたようなブルーチーズは、
見た目といい、臭いといい、いかに食いしんぼうのマザーユウキと言え、
とても好きにはなれませんでしたけど。

訓練の時は、現役パーサーやアシスタントパーサーが教えに来てくれます。 
マザーユウキは、その時教えてもらったアシスタントパーサーと
その後フライトで一緒になったことがあるのですが、(毎回クルーは変わりますが、
便数も多いですし、知ったクルーと一緒になる確率はそう高くはありません)
彼はしっかりマザーユウキを覚えていました。

「君は一番前でよく食べていたなあ」

太るはずです。
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スッチーだった頃 2

2.訓練所での学習

訓練所は、学校の教室と同じように教壇やホワイトボード (黒板だったかしら?)
があり訓練生用に机が並べてありました。そして、手渡された分厚いマニュアル。

1. 航空運送事業とは          2.エアライン・セールスについて
3. エア・カーゴのはなし 4.航空運送サービスとは
5. 安全な飛行             6.新しい日航機 SUPER JET と JUMBO
7. 安全性の担い手 ―メンテナンス―  8.日航マンのエチケット
9. 日航におけるコンピューターの活躍  10.これからの労使関係
一つ一つの項目が薄い小冊子になっていました。

日航マンのエチケットという小冊子、目次には
1.はじめに
2.エチケットとは  
3.職場のエチケット (1)挨拶(2)「規律について」(3)仕事のルール
4.身だしなみ   (1)服装 (2)清潔 (3)表情
5.職場での話し方 (1)職場における会話の要領(2)上手な会話、下手な会話(3)会話の心得12項 (4)喧嘩とならない議論の仕方
6.敬語の使い方  (1)敬語は必要か(2)敬語の効用(3)間違え易い使い方(4)「お」の乱用(5)「お」の効果的な用法(6)丁寧語の使い方(7)敬語の原則
7.応接のエチケット (1)待つ身になれ(2)差別をしない(3)毅然とした態度を(4)用談は簡潔に  5)心に微笑を
8.電話の話し方  (1)音声(2)要領よく簡潔に話すこと(3)メモを取る(4)作法をよくする(5)親切で行き届くこと
9.結び  ―よい人間関係のために―

当時の日本航空は半官半民で、国を代表するエアラインでしたから、
日航のマニュアルはおそらく日本で最先端を行くものだったと思います。
今ではすっかりマニュアル文化になって、マニュアル通りにしか動けないことを
揶揄されたりしますけど。

マザーユウキの社会人としての基本は、やっぱり日航で培われたものなんだ・・・
改めて感謝感謝です。
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スッチーだった頃 1

JAL
先日妹が遊びに来て、久しぶりに昔のアルバムを取りだしました。
私が一番最初に就いた仕事、日本航空のスチュワーデス時代のアルバム。
もうすっかり色あせている写真。そして、写真と同じように
私の記憶も色あせてきています。
そこで、まだ覚えているうちに思い出を書き記しておこうかなと・・・
しばらく自分史が続きますが、よかったらおつきあいください。


1.ウェイトつけた訓練中

遠い昔(になってしまいました・・・トホホ)マザーユウキはスッチーだったのです。
マザーユウキが入社したのは、日本航空にジャンボジェット機が導入されて、
JALパックという海外旅行のパックツアーが出た頃でした。 
海外旅行が私達庶民の手に届くものになり始めた、言わば日本の高度成長期、
今思えば一番いい時代だったかもしれません。

今はキャビンアテンダント(CA)と言うようですけど、森英恵さんデザインの
超ミニスカートの制服の頃は、スチュワーデスと呼ばれていました。 
そうそう「アテンション・プリーズ」というテレビドラマで、
紀比呂子さん(こんな字だったかしら?)や氾文雀さんが来ていた制服です。 
若い人たちはきっと知らないわねえ。

関西人のマザーユウキは、半年間の訓練中蒲田の寮に住んでいました。
「アテンション・プリーズ」や「スチュワーデス物語」でも登場していた、
あのらせん階段のある寮です。 
と言っても分からない人の方が多いでしょうね。今もあるのかしら?

昔はスチュワーデスの訓練期間が半年もあったのですから、なんとも優雅な時代でした。
「訓練は厳しい」とよく聞かされていましたが、根が楽天家のマザーユウキには、
毎日蒲田の寮から羽田の訓練所に通う生活は、まるで学生時代に戻ったような
楽しいものでした。 

最近になって、久々に羽田空港に行くことがあって懐かしくて、
かつてのオペレーションセンターを探してみましたが、羽田もすっかり様変わり。
空港の派出所で、一番年配そうなお巡りさんにも聞いてみましたが、
もう40年以上昔ですものねえ。
方向すら分かりませんでした。

で、訓練中は規則正しい生活に加えて、寮の食事もとてもおいしかったものですから、
なんとマザーユウキは、厳しいと言われた訓練中に4kgも太ってしまったのです。 
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ご縁

先日行った眼医者さん、六甲道の谷眼科医院。
実はリリパットの昔の生徒のお母さんなのです。
もう25年近く前、リリパットが六甲で英会話教室として開校していた頃、
当時4歳の男の子を連れてやってきてくれたのが谷先生。

谷眼科医院は夫が少し前からかかっていたのですが、夫が行ったのは偶然。
当時夫は大阪の本社にいてほとんど六甲にはいませんでしたので、
谷先生からリリパットの話が出て分かったのです。


私は本当に20年以上ぶりにお会いしました。
診察の合間ですから、ゆっくりお話はできませんでしたが、
新しく幼稚園のような形でやっていると言いましたら、「宣伝しときます」って。
リリパットのことはずっと気に入って下さっていたみたいで、ありがたいことです。

不思議なことに、そうしてコンタクト入れた翌日、御影駅前をウロウロしていたら、
以前の生徒のお母さん二人に立て続けにお会いしたのです。

一人のお母さんは、「知り合いでリリパットの幼稚園に行きたいって考えている人が
いるんです。リリパット有名ですよね」って。
「えー、そうですかあ?」なんて言いながら、ちょっと喜んだりして、ウフフ。
昔から口コミを大切にしてきましたから、知る人ぞ知る教室ではありましたが。

まあ、メガネをかけずに歩いていた時は、道ですれ違っても
気がつかないこともあったかも。
コンタクトレンズのお陰で、これからは出会いが増えるかもしれませんねえ。
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コンタクトレンズ初体験

「なんでいまさら?」

なんて言われそうですが、62歳にして初めてコンタクトレンズに挑戦。
これまでも何度か考えたことはあったけれど、目に直接入れるというのが
ちょっと怖そうだし、面倒くさそうだし、さしたる必要性も感じないし・・・
それにまあメガネも結構好きだったので、結局メガネで通してきました。

でも、先日たまたま見たテレビで、芸人のマサさんが鼻の手術をしたら、
「空気がドッと入ってきて感激した」
みたいな話をしていて、それが妙に引っかかったのです。

そう言えば昔夫が「コンタクトレンズを入れると世界が変わる」
というようなことを言っていたなあ。
コンタクトレンズを入れると、メガネよりずっと世の中がクリアに見えるのかな?
残りの人生の方が短くなってきたので、世の景色をしっかり見ておくのも
いいかななんて考えたりして。

そして先日、夫と一緒に夫がかかっている眼科へ行ってきました。
お試し用のコンタクトレンズを入れては視力検査の繰り返し。
入れたり外したりのコツもなんとか把握できて、
お試し用のレンズをもらって帰ってきました。

私は近視なのですが、最近は老眼も入ってきているので、近くを見る時は
メガネがない方がよく見え、遠くはメガネが必要。ややこしかぁ~
今は遠近両用のコンタクトレンズもあって、今日はそれを一日入れてみました。

う~ん、世界が変わるってほどじゃないけど、確かにメガネをかけたり外したりの
手間が無くて便利。それに、メガネの縁がない分、確かに視界は広がる。
でも、コンタクトレンズを入れているのを忘れてつい癖で、メガネを取りに行って・・・
「メガネなくてもよく見えてるじゃん」って苦笑い。

そんなこんなで、コンタクトレンズ体験一日目は終了です。
プロフィール

平川裕貴

Author:平川裕貴
幼児教育研究家、キッズマナーコンサルタント、マナー講師、著述家、コラムライター、英語スクール経営者

出版物
『歌で覚える英会話 キッズソング1~3』(販売終了)
『グローバル社会に生きる子どものための-6歳までに身に付けさせたい-しつけと習慣』(アマゾンにて販売中)
『5歳でも間に合う!わが子をバイリンガルにする方法』(彩図社)全国の書店・ネットショップで好評販売中

ママ向けサイト『ハピママ』『KIDSNA』『IT Mama』で、しつけや英語に関するコラム記事執筆

英語学習者向けサイト『Cheer up English』で子育て英語記事執筆


元日本航空CA,外資系英語スクールマネージャーを経て、1988年外国人講師による子どものための英語スクール『リリパット』を設立。
一時関西に英会話教室30教室以上を展開するが、阪神淡路大震災で被災し、規模縮小を余儀なくされる。
長年欧米文化に触れてきた経験と、震災後の長く苦しい体験から得た知恵も生かし、子ども達の長い人生を見据えた幼児教育に取り組み、現在3歳から6歳を対象とした『リトル・キンダー』という幼稚園型スクールを開校。
日々小さな子ども達に囲まれて、時には笑い転げ、時には雷を落とし、賑やかに楽しく過ごしています。

第2の人生の目標として、得てきた知恵や知識を伝えるべく、本業のスクール経営の傍ら執筆活動を開始しています。

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